信念・思い込み 3 [信念・思い込み]

私たちが学んできた歴史は真実でしょうか?人類の歴史はその殆どが戦いの歴史です。そして歴史を記録し、残してきた者は、常に「勝者」側でした。敗者に口はありません。勝者は自分の都合の悪い事実を残す必要はなく、敗者側の理屈も真実も、勝者の都合でねじ曲げられてきました。勝者が、時には改宗を迫り、時には言語を奪い、時には都合の悪い書物を焼き払い、勝者にとって有利な教育を行うことは当然の事でしょう。という前提に立って歴史がある事を学校で教えてくれたでしょうか。

あるフリーライターが、アフリカの未開の地に取材に行ったときのことです。彼は日本に帰る間際に、仲良くなった子供数人に、簡単な日本の民謡を教えました。どのような民謡だったかは忘れましたが、彼が子供の頃に慣れ親しんだ、歌だったと言っていました。

20年後に彼がまた同じアフリカの土地に取材に行く機会がありました。すると現地の子供が、自分の教えた民謡を歌っているのを聞いたのです。言葉は違っていましたがメロディーは一緒です。彼は嬉しくなって、一緒に民謡を歌い始めると、子供達が驚いたそうです。「おじさんもこの歌を知ってるんだね!」と。

このあと彼は子供達よりも驚きます。子供達は「この歌は先祖代々、この土地に伝わる神の歌だ」と説明をしたそうです。他の誰かに歌を教える時に、冗談で言ったのか判りませんが、それが真実として子供達に受け継がれているのです。

モンゴル国出身の元大相撲力士、第68代横綱、朝青龍明徳さんは、何かと世間の注目を集める人物でした。もう6年も前になるでしょうか。朝青龍さんは、土俵上で勝ち名乗りを受けて懸賞金を受け取る際に、利き腕の左手で手刀を切り、ちょっとした騒ぎになりました。

「手刀を切る」で検索すれば、「右手を手刀にして中央・右・左の順に切る。造化(ぞうか)の三神(さんじん)に対する尊敬の念を表すものとされる。」と出ています。

なにかと敵の多い朝青龍さんだったのでしょう。「横綱らしくない」「品格に問題がある」といったところでしょうか。「ほれみろ、また朝青龍が好き勝手をしているぞ」と言わんばかりの攻撃が始まりました。

批判が始まると、誰もが「右手で手刀を切るのは当たり前じゃないか」と思ったでしょう。

ところが、相撲協会の規則には「右手で手刀を切ること」とは書いていません。問題になって初めてその事を知った人も多かったようですね。

すると、「例え規則になくても、これは古くからの習わしなんだ」「伝統なんだ」「国技として古くから伝わる風習なんだ」「守って当たり前のことだから書いていないだけ」と批判がやみません。

結果は、「手刀は右手が好ましい」というだけの決着となりました。そもそも懸賞金が始まったのは戦後のこと。昭和20年代に活躍した、大関・名寄岩(なよろいわ)さんが、「懸賞金を鷲掴みにするのは失礼かな」と思って始めた動作でした。

それを見た他の力士達が「お、かっこいいじゃん」と真似を始めたのが手刀の歴史だそうです。それまで皆が懸賞金を鷲掴みにしていたという事ではないでしょう。頭を下げたり何らかの礼を示していたのでしょうが、一人が始めた「手刀」という動作をみんなが始めたというだけの事です。

それがいつの間にか、手刀の意味を後付けして、ルールや伝統ある作法であるかのように思い込んでしまったのですね。朝青龍さんを好ましくない、品格がない、と思っている人は、自分の信念というフィルターを通して物事を見てしまったのでしょうか?

信念や思い込みは、自分の都合の良い解釈をしたり、都合の良い事だけが見えたりと、今の本人の思考習慣の元になっているようです。今の自分を見て「こんなはずじゃなかった」「もっと違うことをやってみたい」「思い通りになっていない」なんて思ったら、それは過去の思考習慣の結果です。自分の思い込みが引き寄せたのかも知れません。

過去の経験や記憶から学ぶのではなく、今ある事実から学んでみてはどうでしょう。「自分が正しい」と思っている気持ちと反する出来事に出会ったら、無理に信念を変えることはありません。

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「正しいかもしれないし、間違っているかもしれない」
「本当かもしれないし、間違っているかもしれない」

と、曖昧にしておくのです。人生に不足している物はありません。全て本人に必要な事が、絶妙のタイミングで起きているのです。しかし、ある種の「信念」や「思い込み」によって、「絶妙のタイミングで最高の事が起きている」という事が理解が出来なかったり、本人の自我によって「不都合」だと判断して、素直に受け入れられなくなっているのです。

過去を振り返れば、「ああ、あの時これで良かった」と思うことや、また反対に、自我を押し通して後悔した事はありませんか?

自分が変わっていけるチャンスは、いつも用意されています。「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」から、訳もなく「ありがたいことが起きているんだ」と、思い直してみることです。過去の思考習慣を別の思考習慣に変えてみることです。

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