アスリートに学ぶ 3 [アスリートに学ぶ]

今日は「あ・お・う・会」。更新はお休みです。

プロ野球もいよいよクライマックスシリーズ突入しました^^ セリーグで中日がリーグ優勝を決めた時の、落合監督の言葉が印象的でした。

「鍛え上げているんです。1年、2年のことじゃない。7年間でチーム作りをしてきた結果が出た。優勝は、みんなが何年もかけて積み上げてきた、ご褒美なのかな」

中日ドラゴンズは、落合監督が就任して7年。成績は全てAクラス。3度のリーグ優勝。日本一も1度達成という快進撃をしています。ドラゴンズには45歳の現役投手、山本昌選手がいます。野球ファンなら誰でも知ってますね^^

山本昌選手の今期の成績は5勝1敗。山本昌選手が3敗していたら(3勝3敗だったら)中日のリーグ優勝はありません。45歳の山本選手があげた5勝は凄いことです^^

山本昌選手は、決してエリートではありません。1984年にドラフト5位で中日に入団。コントロールもない、球威も130knそこそこ。プロに入って、剛速球の小松辰雄さんのピッチングを目の当たりにし、「自分はとんでもないところに来てしまった」と思ったそうです。

2軍で黙々とプロの身体作りをする山本昌選手でしたが、春先になると決まって怪我をしていました。その為、結果が残せないのです。3年目でやっと一軍での登板機会がありましたが1試合のみ。打者5人、被安打2(本塁打1)、防御率27点。

4年目も春先に怪我をしてしまいます。まるで「季節の変わり目になると風邪を引く」みたいな話ですね。プロ野球選手に怪我は致命傷です。怪我をして戦力にならないのであれば、球団は見放してしまいます。山本昌選手は、一軍の登板機会さえもらえずに退団となるかも知れないのです。

山本昌選手は、怪我の治療中に、ある人物の薦めで、毎朝、瞑想を始めることになったそうです。「早く怪我が治りますように。」 いえいえ、そんな小さな夢ではありません。プロ野球選手として大成している自分をイメージして。

毎日瞑想を続けていると、様々な変化が現れました。まずは、みるみる間に怪我が治ったこと。まずは投げられなければ結果も出せない。そんな危機から、治療がシーズン後半戦に間に合い、1軍での3試合の登板機会を得ました。

しかし成績は振るわず、球団側は山本昌選手を、この年の整理対象選手と判断します。そこはプロの世界です。4年やって結果が出なかったのでは仕方がありません。また春になって怪我をするかも知れない選手に払う給料はないのです。

ところがここでも山本選手は首の皮一枚が繋がります。当時の星野仙一監督が「山本は身体が大きい。努力しても大きくなることは出来ない。体が大きいというだけでそれは才能だ。残しておけ」と言ったことで、5年目を迎えられることになったのです。

5年目の1988年。毎朝の瞑想は続いています。この年のドラゴンズは、ロサンゼルス・ドジャースとの業務提携を行い、春季キャンプをアメリカのフロリダベロビーチでドジャースと半合同で行いました。

キャンプの後半は沖縄で行われ、そこで山本昌選手は、野球交換留学でドジャース傘下の1A(ベロビーチ・ドジャース)へ行くように告げられます。

交換留学というと聞こえが良いのですが、山本昌選手にとっては崖っぷちの5年目。まだ、整理対象選手からは外れていません。一軍で結果を出さなければ首なのに、「1Aに行け」というのは、遠回しに首を告げられたようなもの。

そもそも、一軍での活躍が期待される選手を、球団が手放すはずもありません。キャンプ中のA1行きは、「キャンプでのあなたを見てきたけど、今年は、あなたは必要ありませんよ」といわれたのも同然です。

球団はドジャースとの友好関係を保っておく為に、要らない選手を送り込んだ、ということろです。
星野仙一監督は当時のことを、「面白そうだから行かせた」と話しています。

ところが、泣く泣くアメリカへ渡った山本昌選手には、人生の転機が訪れます。

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瓶太郎

こんにちは
自分はアスリートに学ぶ事が多いですね!
by 瓶太郎 (2010-10-17 12:54) 

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