穏やかに [穏やかに]
陪審員制度である実験がありました。実験はある事件の、過失責任を何処まで負うかを判断してもらうものでした。
Aグループは事件の経過を知らせる前に、事件とは別の虐待をしている様子等の怒りをかき立てるビデオを見せられています。Bグループは感情移入のない幾何学的な模様のビデオを見せられています。
冷静なBグループは様々な軽減理由を考慮して、被告の罪が軽くなると判断しました。
ところが、怒りをかき立てられたAグループは、細かい事情を無視して、Bグループよりも重い罪を下すべきだと判断しました。怒りを持ち越して、関係のない事件の被告にその怒りをぶつけるという行為に出たのです。
どうやら怒りというフィルターは、常に判断を誤らせる原因になるようです。
追実験で、ビデオを見た後に過失の裁定をして貰うことを予め伝えておいた場合、また、怒っている被験者に、判断の根拠について後で確認することを伝えた場合も、冷静な被験者に近い裁判断ができることが判っています。
怒りは突発的です。「よし、怒ろうか」と考えて怒る事なんて殆どありません。思う前に、怒りが沸き出してくるものです。実生活では、予め先のことが判って行動できる事は限られていますし、自分が冷静になるように補助を受けられる事も希です。
では「怒り」の目的は何でしょう?
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