アスリートに学ぶ 3-4 [アスリートに学ぶ]

球威がない、コントロールもない、フォームが悪い、甲子園出場の経験もなく、全国的には無名の左腕。超高校級と言われる選手達は、恵まれた環境で理想的な身体を作ってきたかもしれませんが、山本昌選手はほぼ何も持たない状態でプロ球界に足を踏み入れました。

入団後、適切なトレーニング方法も判らないまま体を鍛えては、決まって怪我をした4年間。球界を代表する投手に登りつめましたが、身体には目に見えない負担がかかっていました。

95年春頃から膝に違和感を覚え、登録と抹消を繰り返し、挙げた勝ち星は僅かに2つ。左膝は徐々に悲鳴を上げ始め、年末に選手生命を賭けて手術に踏み切る事になります。

手術から僅か4ヶ月で復帰し、5月には9ヶ月ぶりとなる復活勝利を挙げたものの、球威は戻らず7勝止まり。年齢も30を超え、「山本昌はもう終わった」と、囁かれ始めました。

怪我をしてしまっては、投げるチャンスもなくなってしまう。今でも続いている瞑想のきっかけは、自身の怪我でした。

「手術したことを忘れるような体にしていきたい。」

どうして自分は怪我をしてしまうのか。どうしたら一軍のマウンドで思うように投げられるのか。そんな思いから山本昌選手はトレーニング科学の専門家・小山裕史さんのもとを訪ねます。

「ここに来ればケガをしない、何かそういう確信めいたものを持ってる」

小山さんは短距離界の伊東浩司、メジャーリーガーのイチロー等、数々のアスリートの指導している方です。

山本昌選手は、小山さんの指導のもとで、投球フォームを修正していきました。ここでのトレーニングは「真っ直ぐな球を投げる」こと。アイク生原さんと目指した投球術を完成させる為に、これまでの投球の癖を直していきます。

「それまではただ投げているだけだった。自分の投げる形やメカニズムがわからなかった。だから、懸命に勉強した」

山本昌選手は、ストレートをマスターしていく課程で、あることに気付きます。

「この投げ方は体に楽だ。そして、故障した膝にも負担が少ない」

迎えた97年開幕。ナゴヤドームのこけら落としとなったこの年、プロ入り14年目、初の開幕投手に指名されました。開幕戦を白星で飾る怒濤の8連勝。左腕では球団史上初となる100勝達成など、この年18勝で3度目の最多勝を獲得。最多奪三振投手、最優秀投手賞、ベストナイン。

大きな身体を使えず手先で投げていた山本昌選手は、プロ入り5年目の渡米でアイク生原さんと共にプロ左腕としての道を歩み始め、その投球術はプロ入りから13年で完成したのです。


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夏炉冬扇

こんばんは。
とても詳しく調べてありますね。探究心に敬服。
by 夏炉冬扇 (2010-10-20 20:41) 

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