変化 2 [変化]

バルセロナオリンピックで、女子マラソン銀メダルに輝いた有森裕子さんは、オリンピックでの当日の朝、コンタクトレンズを片方なくしてしまって、片目だけレンズを入れて走ったそうです。

このトラブルに直面した有森さんは、落ち着いて何が見えればいいかと考えました。まずコースが見えればいい。後は給水所で自分のボトルが見えればいい。その他は何も見えなくてもいいとの判断でレースに出場。片方の目で不便だったことは何一つ覚えていないとのこと。

まるで野茂さんの「英語が出来なかったら・・・・」の話しのようです。「片目では勝てない」なんてマイナスの心理なんて無かったんですね。

オリンピック女子マラソンで金メダルに輝いた高橋尚子さんは、何の実績も持たない選手だったそうです。高橋さんは腕を横に振って走る。腕を横に振るのは、陸上選手としてはよくないと言われ続けてきたそうです。小出監督はそれを「いいフォームだね」と無責任に褒めたそうです。

「その手が大事だ。給水所で人より先に水を取れるじゃないか。」

と。高橋さんは自分がずっと欠点だと思っていた腕を横に振る癖を、その一言で自分が有利と思える事が出来たのです。

不都合こそチャンスです。不都合があるからこそ、先入観偏見比較といった自分勝手な思い込みを開放していけるのです。

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変化 [変化]

人間社会では常に物事が変化していきます。私の会社ではルール変更が頻繁にあり、その度に不満の声が上がります。多くの人が常に、都合が良いか悪いかに囚われているのです。

しかし人が成長したり、変わっていけるチャンスは、不都合を感じた時なのです。不都合に囚われている自分に気付いたのです。気づいたからこそ、囚われている自分の気持ちをを手放す方向に進もうとすることができるのです。

自動車メーカーのホンダでは、軽自動車以外の車でターボエンジンを載せた車を作っていません。ホンダは自動車レースのF1の技術と技術者を、市販する車に反映させています。

1983年の第2期F1参戦にて、ホンダはF1レースへのエンジン提供を行い、ホンダのターボエンジンは圧倒的なパワーで連勝を重ねていました。しかしターボエンジンの強力な加速力はドライバーのコントロールを超えるもので、安全の為に1986年から段階的に制限が付けられ、1989年を持って禁止になりました。

当時、これは日本に勝たせない為、ホンダに勝たせない為の不当なルール変更だと、レースファンも、関係者も、ホンダのF1チームでさえも憤慨していました。チーム監督の桜井さんは本田宗一郎さんに直訴しようとしました

ところが、本田宗一郎さんは桜井さんが話し出す前に、「ターボ禁止は本当か?ホンダだけがターボ禁止なのか? 違うのか、馬鹿な奴等だ。ホンダだけに規制をするのなら賢いが、すべてのチームが同じ条件なら、またホンダが一番速く、一番いいエンジンじゃないか。で、なんだ話ってのは?」と言い放ったそうです。

桜井さんは嬉しくなると共に、不都合ばかりを見ていた自分の思考に気づき、あっさりとその思いを手放しました。「いいんです、何でもありません」と引き下がったそうです。ホンダはターボ禁止の1989年にも16戦10勝の圧倒的な強さを見せました。

1998年の長野オリンピックでは、スキージャンプで、金2個、銀1個、銅1個、合計4個のメダルを獲得して、日本中が大いに沸いたものです。ところがこの長野オリンピックが終わった後、ルール改正が行われました。飛ぶ競技なのですが、飛びすぎは危険なのです。安全のためのルール改正が行われたのです。

それまでは、板の長さ「身長+80cm」まで。それが改正後には「身長×146%以内」に変更されました。身長173センチ以下の選手は、これまでよりも短い板を使用する事になり、長野オリンピックで活躍した選手たちは全て173センチ以下でした。

このとき日本のマスコミからファンから、スキー関係者から、このルールは身長の高い欧米選手に有利にする為、日本に勝たせない為の不当なルール変更だ、という意見が多く見られ、新しいルールに対応するのが遅れました。

次のソルトレークオリンピックで優勝した選手は、日本人より背の低い選手だったのです。

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