不都合を感じる心の仕組み -4-2 [不都合を感じる心の仕組み]
育てる親が辛いと感じて人生を送っていると、「人生は辛いもの」と学習して育ちます。悲しみや不満を多く抱えて生活をしていると、「人生は悲しいもの」「人生は不満足なもの」と学習します。
「人生は辛いもの」と学習した子は、わざわざ辛い事、苦しい事、悲しい事等を見つけて人生を歩みます。
批判的な思考を学習して育った子供が何事にも賛成できないように、楽しい事に不都合を感じたり、他人が楽しそうにしている事にも不都合を感じます。
仲間の成功や幸せを素直に喜べずに、妬みを持つ人がいます。常に不都合を見つけ、家族や会社、仕事や職場の愚痴を肴に盛り上がります。
信頼関係が無かったり、喧嘩が多い両親の間で育つと、男女の関係は揉める事が愛だと勘違いをして育ちます。
不都合の中で育つと、自分にとって不都合である事に、一種の心の安定を見つけます。
ほとんどの場合、本人は自覚をしていないのですが、不都合が、ある意味で心地よいのです。不都合を探して思考することが正常であると思い込んでしまいます。
両親が愛し合い、信頼し合い、今を面白く前向きに生きている親こそ、最高の子育をしているのです。
どんな時であっても、「ありがたい、おもしろい、うれしい」と感じて笑顔で生きていると、子供も無条件でありがたいを感じ、全てをおもしろいと思い、うれしい奇跡を当たり前のように起こします。
大方の人は、自分が幸せである事に、お金や、物や、地位や名声を欲しがります。自分の幸せに条件付けを行ってしまいます。条件こそが自分の幸せを制限しているものです。
欲しいと望むことは、「無い」という状態に強い関心を持っている事になります。この強い関心を持った状態が創造されて「無い」現実が現れてきます。
親がいつも前向きにイキイキワクワクとしていれば、言葉で教えられなくても、子供はいつも幸せでいることを自然に正常と受け入れて育ちます。この子は欲しがりません。お金や、物や、地位や名声といった、幸せの条件付けを行いません。
有るという状態を常に受け入ているので、有って当たり前の人生の現実が現れてきます。
全ては「今の自分」です。今の自分が「あ・お・う」を感じてイキイキワクワクとして人生を過ごす事は、自分にも周りの人にも最高のプレゼントです。
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不都合を感じる心の仕組み -4 [不都合を感じる心の仕組み]
子育てで重要な事は、子供は言葉で教えてもらう他に、親の思考を学習するということです。
どんな時に笑うのか、どんな時に楽しいと感じるのか、どんな時に怒ればいいのか、親がどんな思考をしているのかを、自分の頭にインプットして行きます。
テレビを見て政治の批判をしていれば、政治と言うものが分かっていなくても「政治は批判するもの」と学習し、将来大人になってテレビを見て政治批判をします。
いえいえ、大人になる前から、例えば学級会等でクラスの政治を行うときは、批判的な気持ちを持って望むようになります。
会社や仕事、人付き合いの愚痴を言うと、会社や仕事には不満を言うものだと学習します。
この子は何が決まっても不満です。常に不満や批判的な物を見つけようとして、学校や会社と言った単位の政治にも批判的な思考から入ります。
本人は、そう思考する事が当たり前だと思っているので、自分の不満の原因が分かりません。
家族にも不満です。思春期を迎えた子供が親との距離を取りたがるのは、独立心の表れかもしれません。しかし家族の付き合いが上手くいかない事と、独立心とは、別の問題ではないでしょうか。
この子は、例えば家族で旅行に行く場合、行き先でも宿でも食事でも何かと不満を持っています。どんな場所で、どんな宿で、誰と行っても、何をしても不満です。
親も子供の不満の原因は分かりません。子供も、ただ不満に思うことで、自分自身が安定していると思い込んでいるだけですから。
身近な人に不満を感じたら、それは自分の姿の投影であるかもしれません。
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不都合を感じる心の仕組み 3 [不都合を感じる心の仕組み]
あの人に比べて自分のほうが役職が高い。とか、私はあの人よりいい容姿。とか。
逆を言うと、幸福の始まりは、他人と比べて自分がどれだけ勝っているかを感じられるか、ということになってしまいます。
比較するから不幸を感じたり幸福を感じるので、比較をしなければいい?
いえいえ、そんなお話をしたいのではないのです。
比較によって始まるのは条件付けです。
あの人よりいい車を乗っているから幸福。あの人よりスタイルがいいから幸福と比較をしていると、もっとお金があれば、もっといい家に住んでいれば、もっと裕福な家庭に生まれていれば、と自分が幸せに感じるための条件付けを、していってしまいます。
「○○があれば幸せ」と条件付けをすると、その物を手に入れることが目的となってしまいます。
手に入れられたその時は幸福感を得られるかもしれませんが、いずれ薄れてきます。
そしてまたまた幸福感を得るために比較をします。
幸福感を感じるためには、まず自分が少しでも不幸を感じなくては成り立たなくなります(思考の落とし穴)。
だから、金があれば、○○があれば、○○だったら、と条件付けをしている間は、何が手に入ってもずっと何かしらの不幸を感じる状態が続きます。
誰もが、まさか「自分が不幸になりたい」と思っているとは、夢にも思っていないでしょう。
それは、「幸福を感じるために、わざわざ不幸を感じる状態を望んでいる」、そんな思考の癖に気づいていないだけです。
そしてもちろん、「良くなりたい」という願望は、「今、自分は良くない状態にある」という思考をしています。この思考が将来においてまた実現します。
比較をしなければいい? 無理です。
以前に猫について考えないでくださいと例を挙げました。とたんに誰もが猫に囚われて考え始めます。
比較をしないようにと考え始めたとたん、比較に心が囚われてしまいます。
そんなことは置いておいて、別の思考を入れて、別の癖を付けてしましょう。
繰り返しになりますが、
願望が出ます。いろいろな思いが出てきます。一番強い思いが実現します。心囚われた強烈な願望ほど危険です。
だから、願望は淡く、淡く、淡く・・・。
癖を直すには、別の癖を付ける、「ありがたい」「おもしろい」「うれしい」と訳もなく思うだけです。
今の自分の状態を、しっかり「ありがとうございます」と区切りを付けていかないと、現状に囚われた思考のままです。
まずは、いつどんな時でも、「あー、楽しかった」と訳もなく「ありがとうございます」で区切りをつけて、物事の一つ一つに思いを手放すトレーニングです。
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不都合を感じる心の仕組み -2-2 [不都合を感じる心の仕組み]
今度は「怒りたい」という満足感を得るために、不都合(怒り)を自分から探しだします。こんな話をすると、「まさか自分はそんなこと・・・」「いや、私はそこまでひどくない」とみんなが言います。
なーんて、偉そうに話をしていますが、私自身がそうでした^^;
怒ったところでどうしようもない、変わらないとわかっていることでも怒っていました。ひどい時は物に当たることもありました。
イメージトレーニング1は最初は実に理不尽に感じたものです。
「邪魔だなあ、もうちょっと端を歩いてくれたらいいのに」
「みんながもうちょっとだけ詰めれば、あと一人座れるのに」
「親のくせに何で子供を注意しないんだ」
「マナーが無いなあ、携帯は切っておけよ」
こんなことに「あっ」と気づいて「ありがとうございます」って、最初は実に理不尽です。
だって、だって正しいのは私でしょう?
なぜ?どうして?なんて理由を考え始めると、そこに囚われてしまってできなくなっていきます。 ただ訳もなく「ありがとう」を繰り返していくと、たった一日の中で
「こんなことにもありがとうって言わなくちゃいけないの?」
という数の多さだけ、自分の不満の多さ、怒りの多さに気づかされます。
事の良し悪しの問題ではありません。沢山の不満を抱え創造している自分自身が問題です。
結局私は「正義」を盾に、怒ってもいい理由を探していただけに過ぎません。
怒るという行為は、「怒りたい」という気持ちを満足させているだけに過ぎません。
自分の身勝手な道理を通おそうと、泣いたり、拗ねたりするのも一緒です。
なんでもない店員の態度、テレビを見ては文句を言ったり、会社の不満、同僚の愚痴、家族の愚痴・・・・
自分の正義を見つけては、相手を悪にしていきます。
そこまでひどいかどうか大小の問題ではなく、何かしらのストレスを感じている自分には、過去の経験や環境から、怒り癖や、泣き癖、拗ね癖といった、何らかの癖が付いているだけ、ということです。
自分が気づいていない、自分だけの常識、思考の癖をどこかで断ち切らなくてはいけません。
今までの思考癖のままでは、今までと同じ状況が継続します。
昨日と同じ事をしていれば昨日と同じ今日がやってきます。
今までと違うことをしてみましょう。不都合を感じたらまったく別の常識、「ありがたい」「おもしろい」「うれしい」と訳もなく思うだけです。
このブログを読んでいるあなたは、もう変わり始めています。なぜならあなたは、もう既に、自分の人生の創造者となる一歩を踏み出したからです。
本当に楽しいことを楽しいと感じる自分を取り戻し、自分自身で幸せを感じる、自分自身で幸せになる自分へと羽ばたきましょう!
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不都合を感じる心の仕組み -2-1 [不都合を感じる心の仕組み]
親は、子供には関係の無いことでイライラしています。ふと子供が目に留まります。
「さっき言ったでしょう!」
「何度も何度も同じ事を・・・!」
「ちゃんと片付けなさい!」
親は怒ることにより子供が操縦できたことで、味をしめてまた怒ります。
味をしめてしまうと、自分が思いどおりにいっていない、不都合を感じているときには、また子供に当たってしまいます。
今度は何を学習したでしょう?
子供は、「言うことを聞かなかった自分が悪いんだ」と学習する他に、
「人を動かすには怒ればいいんだ」「自分のわがままを通すには怒ればいいんだ」
そう学習し、子供同士の社会で試してみます。
自分の怒りで身勝手な道理が通ってしまうと、子供は怒りの効果に味をしめます。
こうして、自分の不都合には、怒りを感じ表す、というゆがんだ常識が出来上がっていきます。
よく怒る人は、怒る事に味をしめているのです
よく泣く人は、泣く事に味をしめているのです
よく拗ねる人は、拗ねる事に味をしめているのです
それは良いことでも悪いことでもありません。ただの癖です。
過去の育った環境や、過去の経験と記憶から、
「不都合である」→「自分は怒っていい」「怒れば何とかなる」
という癖が付いているだけなのです。
やがては自分以外の周りの環境が、自分に合わせて変わるらないと、満足できなくなります。思いどおりにいかないと(変わらないと)、怒ったり、泣いたり、そして身勝手な都合が通るとその感情がスッキリ。
「自分以外の周りが変わってくれないと自分は幸せになれない」「自分の幸せは周りが自分の都合で動くこと」、と、知らず知らずのうちに勝手な常識が出来上がってしまいます。
「周りが変わってくれないから私は幸せじゃない」=「私は自分の力では幸せになれない」
という思考をしてしまうことになります。
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